トップページ >全国の古墳> 身近だった古墳

身近だった古墳

わらび取りやきのこ狩りをのぞけば、私たちが山野を訪れる機会はそれほど多くないが、燃料を山林にもとめていた昭和三十年代以前、山は今よりもずっと身近な場所であり、それぞれの山には天神山・城山など、地形の特徴や伝承などにもとづいた名前が付けられています。
そうした名称の一つに茶臼山、車山があります。
茶臼山は茶臼の形、つまり円形の石臼に長方形の取っ手がついた平面形をとらえたもの、車山は水車の形、丸い丘の横に低い張り出しがついた形をとらえた名称とみられ、昔の人々が実に詳細に地形を観察していたことに驚かされます。
円に方形が接続した形で、茶臼山や車山と名付けられた山、実はその多くが前方後円墳である。
岡山市東部、吉井川と砂川の間の丘陵に築かれた浦間茶臼山古墳である。
墳丘全長138mの大形前方後円墳で、前期古墳のなかで最大の規模をもつ奈良県箸墓古墳と同じ設計で、二分の一の大きさに築かれたとみられる。
古墳時代前期初めに築かれた吉備の古墳のなかで最も大きいだけでなく、その時期の古墳としては全国第四位、大和・山城以外では最大の古墳である。