古墳と権力

古墳時代にどんどん大きくなった墓は、指導者はその大きな墓をみんなに見せて、その人の権力があることをしめして、人々を治めようとしました。
でも、中国大陸や朝鮮半島の人から人々を治める方法を学び、それを使うようになりました。
そのため、大きい古墳をつくれる権力をしめすことはあんまり必要ではなくなりました。
このことは聖徳太子の冠位十二階や十七条憲法のような、政治のしくみを法律できちんと決めようとしたことによくあらわれています。
こうしたしくみが整うと、無理に大きな墓をつくるようなことはしなくなりました。
また、大きな古墳をつくる土地もしだいに少なくなってきていました。
でも、聖徳太子も、まだ古墳が多くつくられていた時代の最後の方の人で、古墳に葬られました。
日本で最も大きい古墳は大阪府堺市にある大仙古墳です。
この古墳に入った人は実はだれなのかはわかりません。
日本の古い歴史書れの日本書紀に伝えられる話などをもとに仁徳天皇の墓ではないかとされています。
また、中国の歴史書の宋書には、ちょうど大仙古墳がつくられたころに讃や珍という日本の王が中国に使いを送ったことが記録されています。